A very Merry Christmas, And a Happy New Year

ちょっと遅くなりましたが、みなさんメリークリスマスそして新年おめでとうございます。
年末は皆忙しくしているみたいだが、引越しをした僕にとっては違う意味でかなり忙しかった。年末の忙しさというのは、社会からの接触をシャットダウンすれば免れるが、引越しというのは否応なしに自分ですべてやらなければならない。おかげさまで若干風邪気味だ。
来年の1日から4日まで関西方面にいます。2月中旬から3月末までアメリカにいます。アメリカにいる間はネットでしか連絡が取れないので、ご了承ください。

The Wind That Shakes The Barley

麦の穂をゆらす風
監督 ケン・ローチ
出演者 キリアン・マーフィ
オーラ・フィッツジェラルド
リーアム・カニンガム
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【あらすじ】
アイルランド独立戦争とその後のアイルランド内戦を背景に、価値観の違いから対立することになる兄弟を描いた戦争映画。
【感想】
久しぶりにアイルランド訛りが聞けたのは良かったが、予想以上に重たい映画だった。
春にアイルランドに行ったのもあって、アイルランドの歴史に対して並みの知識はある。実際独立寸前まで共和国の革命者を閉じ込めていた牢屋も見学した。北アイルランドに行って、IRAの今も見てきた。そこで強く思うのが、戦闘に美学は存在しないということである。
アイルランド独立に大きく貢献したIRAだが、今ではほとんどテロリスト集団の代名詞となっている。あのU2も一時はIRAの暗殺リストに入っていたらしい。映画の中では、平和条約が締結された後もお互いで戦いを続けるIRAの姿が描かれてる。現実においても、武装解除されたIRAの兵士が定職に付けず、犯罪に走ってしまった例が多々見られる。
戦いを続けた戦士にとって、毎朝ネクタイを締めて定刻に会社に向かうほど苦しいことはないだろう。たとえ、それが彼の戦いによって得られた成果だとしても。
何のために戦っているのかをはっきりしてから行動するのが大切であろう。

What we demand from scientists ?

先日、あの有名な「Winny」をつくった金子さんが有罪判決に問われてしまった(http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2006/12/13/14222.html)。科学者が社会が要求する倫理道徳に答え切れなかった典型的な例だと思う。しかし、僕が思うに科学者は基本的に科学に忠実にあるべきであり、その他一切は他者に任せればいいと思う。
今回の件に限らず、科学者の発明が社会に与える影響を吟味するのはとても難しい。たとえば、原子力はいい例だろう。将来的に私たちは原子力発電なしには生活できない日が訪れるかもしれないが、一歩間違えば人類絶滅である。マンハッタン計画に参加した一人、ファインマンは科学者に社会的倫理性は必要なしと言明している。その傍ら、一市民として核兵器排除には積極的に貢献している。
専門家でさせ判別しがたい、発明の社会倫理性を科学者に判断させるのはあまりにも酷である。まして、問題が起こったときその責任を科学者に取らせるのはおかしい。そもそも僕が思うに、良い発明というのは自由奔放な発想でしか生まれない。すべての枠を取り外さななければならないのである。社会倫理性など考えていたら、「ドラえもん」なんか絶対誕生しないだろう。世界的に見ても、今回の判例はレアなケースなので、優秀な人材が海外に逃げてしまう可能性も十分ありえる。
また佐藤 俊樹の「ノイマンの夢・近代の欲望」の中でも書かれているように、社会で活躍する技術は科学者ではなく、社会に決定されるのである。世の中の最も優れた科学者をかき集めても、未来における技術を予測できないのは、その正しさを端的に示している。それにもかかわらず、一方的に科学者を責めるのは、間違っているだろう。
逆に、人文系の学者は最先端の技術進歩の成果を彼らの研究に取り入れているのだろうか。つい最近まで、法人用のPCの原価償却期間は6年だったという。誰が6年前ものパソコンを使っているというのだ。あきらかに現状と乖離している。実物経済の何百倍にまで浮くれあがった、実需を伴わない金融取引を全く考慮していない経済学者も世の中にわんさかいる。彼らは、難しそうな金融工学に関わりたくないのだろう。人文系の人間が理工系の事柄を考慮していない以上、彼らに科学者の社会倫理性を問う資格はない。

My scenario in 10 years

CVSの二次選考も終わったみたいなので、自分が書いたMisson 1の解答を載せてみよう。これに対する評価はそこまで高くないのだが、自分の中では結構のお気に入り。アドバイスをくれたAbee、ありがとう!
お題は、
あなたの10年後自分がどの様になっていたいかを書いてください。最悪のシナリオと最高のシナリオを自由に書いてください。
また、その際CVSに参加する事が最高のシナリオにどう貢献し、最悪のシナリオをどう防ぐ役割を果たすかについて言及してください。

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Christmas and Fascism

「愛と幻想のファシズム」をもじったタイトルですみません。
そろそろクリスマスの季節。街中にはイルミネーションが目立つようになり、クリスマスソングが嫌でも耳に入るようになってきた。僕のバイト先のビックカメラでも、サンタの格好をしたキャンペンガールがクリスマスセールのキャンペンなんかをやっている。
日本では、恋人と過ごす性格が強いクリスマスだが、海外ではそういうことはないらしい。むしろ家族団欒の機会であり、奉仕活動を行う機会だったりする。イエス・キリストの降誕を祝う日なのに、躍起になってともに夜を過ごす異性を探すほうがおかしいだろう。
そういえば、バレンタインデーだって、女性から男性にチョコレートをプレゼントするのは日本ぐらいらしい。諸外国では、チョコレートも贈るが、それ以外にも花やケーキ、カードなどをプレゼントしたりする。
ここまでしか書かないと、負け犬の遠吠えでしかないので、もうちょっと論述してみよう。
僕が思うに、これは日本の同質性の社会の産物だと思う。出る杭は打たれるというか、みんな一緒の行動を取りたがる。ポストモダンに突入した現代社会において、異性との出会いを儀式的に同じ日にするにはかなりおかしい現象だと思う。もちろん日本の社会が成熟していないというのではない。オタク文化から見られるように、日本の社会において「大きな物語」はかなり崩れてきている。
これらの現象の背後にあるのは、日本の表面的な民主主義があると思う。日本は世界でもまれに見る、単一民族国家で、本土を侵略されたことは一度もない。そこで、民主主義は意思決定の手段というより、単なるアイデンディティの確認手段と化している。
よく日本の会議で取られるのが、全会一致制である。会議ですべての人の意見を同等に扱い、細かいところまで議論をつくさないときがすまない。明らかに、これによって意思決定の効率は下がり、クリエイティブな意思決定はできないだろう。これを民主主義だと言い張って、頑として変えない人が多々存在する。しかし、実際は一体感が崩れるのが怖いだけなのだろう。日本の社会に閉鎖感があるのは、人々がいまだに画一的な価値観から抜け出せないからだと思う。
このように書くと、まるで僕が民主主義を否定し、ファシズムを賞賛しているように聞こえてしまうが、それは誤解である。僕が思う民主主義は、賢明なリーダーを中心に、各個人の意見を参考にした意思決定である。制度を守るために、その実効性を失ってしまうのはバカらしい。すべての人を満足させる案など、存在し得ない。ある優秀な一人がある程度まで作って、肉付けをみんなでやるのが理想の姿だと思う。逆に、表面的な民主主義では一気にファシズムに突入していく可能性が高いだろう。
ではファシズムのどこがいけないんだ、という話になってしまう。ファシズムは時間軸の流れに弱いという致命的な弱点があると思う。たしかに、一人の天才が存在するときはそれでいい。しかし次の指導者が天才である保障はどこにもない。まして、そのような極度に縛り付けられた社会が100年もつなどほとんど不可能である。
第二次世界大戦後にウィンストン・チャーチルは下院演説はこういった:
「これまでも多くの政治体制が試みられてきたし、またこれからも過ちと悲哀にみちたこの世界中で試みられていくだろう。民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。」
今のところ、僕もこれには同意せざるおえない。

Bono Interview at News23 in Japan

ボノが来日の際に受けたインタビュー

ボノを良く知らない人にはぜひ見て欲しい。その活動の概略が分かるはずだ。
彼の姿勢には強く共感するものがある。たとえば、貧しい国を支援していく上で、教育が最も大切ということや、「It starts from(世界がよくなる)dream.But it only ends, I want to go back to sleep.」というコメント。
ボノの影響で、Amnesty Internationalの一員になることにした。お金は多く寄付できないが、活動で支援していきたい。

Monitor Group & R-CAP

昨日、モニターグループの座談会に行ってきた。知らない方のためにいうと、モニターグループはいわゆる外資系コンサル会社である。
現役のコンサルとじっくり交流できた貴重な機会だった。生の声はやっぱり説得力がある。今回のイベントは、採用の一環もかねているので、どこまで信じていいのか分からない。しかし、僕の希望就職先がコンサルと投資銀行半々の構造から、コンサルに大きく傾いたのは事実である。
自分を分析してみて、やっぱり人と関われる仕事が得意のだとおもった。コンサルでは、お客様との関係を築くのが重要視される。だが、金融はパソコンモニターを見つめながら、ただアウトプットを競うだけだ。また、証券会社の体育会系のノリにはどうしても共感できないのもある。
自己分析に関連してだが、リクルートのR-CAPが返ってきた。
それによると、
1.僕は不確かさに対する欲求が強い。
2.キャリア志向は経営管理・自律・起業家型
だそうだ。
ちなみに向いてる業種は、経営企画、営業と人事。
向いていないのは、薬剤師、看護師、介護師、シェフ。
このような適性診断をやるときよく思うのが、この結果は僕の理想の姿を表しているのかそれとも本来の姿を現しているのか、ということである。問いに答えていくとき、必然的に自分のあるべき姿の要素を入れてしまっている気がする。もっと巧妙な設問を作ってもらいたいものだ。